上映会:椿山 -焼畑に生きる-

椿山(つばやま)は、四国の最高峰石槌山の南方、急峻な渓谷奥の斜面にある戸数30戸ほどの小集落である。平家落人伝説も伝わる。その椿山は、雑穀主体の焼畑作業を営々と続けてきた。これは、椿山の焼畑を中心にした一年の生活と人々の生きざまを、4年間にわたって記録した長編である。

焼畑は第二次大戦後まで全国各地で行われていたが、1950年代に入って急速に消えていった。しかし、椿山の人々は焼畑を続けてきた。その椿山の生活の大きな支えとなってきたのがミツマタ栽培である。春、焼畑地全域にミツマタの花が咲く頃、その刈り取りと皮剥ぎ作業が行われる。ミツマタは和紙、ことに紙幣の原料である。

ここの焼畑には、前年の夏に木を伐って春に焼く「春山(はるやま)」と、夏に木を伐ってすぐ焼く「夏山(なつやま)」とがある。3年から5年作物を作って山に返し、20~30年の周期でもとの場所に帰る。作物はヒエ、アワ、大豆、小豆、トウモロコシ、ソバ、タイモ(サトイモ)などで、土地の高さや陽当たりなどの条件によって、その作付け順序が決まる。

夏。突如、強烈な雨台風が椿山を襲った。周囲の山や谷、そして集落の足下も崩れ、その打撃のために生活のリズムが翌年夏まで完全に狂ってしまった。

再び焼畑作業が始まり、作物の豊饒を願う虫送りの行事や、中世の踊念仏を髣髴させる太鼓踊りのある氏仏(うじぼとけ)のまつり、先祖まつりなども復活する。椿山には、11の先祖組があり、それは、焼畑を軸にしたここの社会生活の基礎単位である。

また、隣村からはるかに遠い地にある椿山には、昨今の日本人がややもすれば忘れがちなものが多々ある。例えば、明日への備え。各家の倉には山と積まれたヒエの俵がある。ヒエを必要とする時代は過ぎ去ったのに、である。

収穫の秋、タイモを堀り、アワやソバを刈り、豆を引く。そして味噌や豆腐を作る。満山の紅葉ののち、椿山に雪の季節が来る。
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